#024 阮小五(げんしょうご)

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調査報告書:了義山攻略における軍師の戦死の記録

1. 被疑対象者の特定

阮小五は梁山湖の漁師出身である阮三兄弟の次男で、呉用のもとで軍略を学んだ軍師。少華山への出向中に「了義山」攻略戦で重傷を負い、逃亡の末に絶命した。

2. 生涯の背景と職歴

阮小五は梁山湖の漁師、また闇塩の運送を生業としていた過去を持つ。智恵者でありながら本質は荒っぽく武闘派の無頼漢であった。晁蓋・宋江に古くから仕え、軍師としての才を磨きながらも、戦場では自ら先頭に立つことを好む武人気質を捨てなかった。

3. 事件発生の経緯

官軍が梁山泊の旗を騙って構えた偽の拠点「了義山」を攻略するにあたり、阮小五は「偽装には偽装を」という奇策を自ら立案し、官軍の具足を纏って敵を油断させ、山寨の門を開放するという最も危険な役割を自ら引き受けた。任務を完遂し少華山軍の勝利を決定づけたが、撤退の混乱の中で躰に矢を三本受けた。肩と腿の傷は比較的浅かったものの、下腹部に受けた一本が内臓を深く傷つけていた。

少華山の陳達に救出された阮小五は、担架に乗せられて梁山泊を目指す四日間の不眠不休の逃亡行を耐え抜いた。追撃をかわす過酷な道中では内臓に達した矢を抜くことができず、矢羽を切り落とすのみの応急処置に留まったが、負傷後も担架の上で意識を保ち、陳達ら同行する兵士たちを鼓舞し続けたという。ついに梁山泊の救出部隊(致死軍および晁蓋本隊)と合流を果たし、安道全の弟子である医師・文祥の検分を受けたが、腹部の矢の周囲はすでに広範囲にわたって損傷しており、救命は不可能な状態に達していた。

最期は晁蓋、史進、朱武、楊春ら主要な同志たちに見守られ、息を引き取った。医師によれば、数日前に力尽きていてもおかしくない重態であったが、同志に会いたいという強靭な精神力のみで生命を維持していたものと推察される。

4. 事後調査による実態の解明

最期の瞬間まで意識は鮮明であり、死の色が浮かぶ直前まで同志と対話を行っていたと記録されている。遺体は、絶命した場所である梁山泊近郊の露営地にて、陳達らによって深く穴が掘られ、埋葬された。

阮三兄弟の次男であり、次代の梁山泊を背負う軍師として期待されていた彼の死は、晁蓋や呉用をはじめとする指導部に深い悲しみをもたらした。梁山泊の本拠地・聚義庁にある名札のうち、阮小五の名は裏返され、戦死者を示す赤字となった。

5. 総括

阮小五の死は、了義山という官軍の謀略に対する梁山泊の勝利が、決して無傷では成し得なかったことを物語っている。この一件は、梁山泊が官軍との全面対決を避けては通れない段階に入ったことを、全同志に再認識させることとなった。