#015 李逵の母(りきのはは)

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調査報告書:望江近郊山中における李逵の母殺害事件

1. 対象者の素性および身体的特徴

対象者は、北方の城郭都市の出身と思われる老婆である。姓名は不詳。特筆すべき身体的特徴として、口が利けない状態であったことが確認されている。これは先天的なものではなく、息子の李逵が幼少のころ、対象者が賊に襲われて喉を切られた際の後遺症である。喉にはその時の傷跡が残っていた。

2. 家族構成と生活実態

対象者の夫は、李逵が十二歳の時に石切りの作業中に石に敷かれて死亡している。それ以降、対象者は一人息子である李逵の扶養下にあった。李逵は石切りの労働によって対象者を養っていたが、その膂力は常軌を逸しており、対象者に対しては極めて従順かつ献身的な孝行息子としての側面を持っていた。

対象者は食性において強いこだわりを持っており、獣の肉を一切食さないという習慣があった。そのため、李逵は対象者のために魚(特に鯉)を調達することに腐心していた形跡がある。

3. 逃亡の経緯

息子の李逵が、北の城郭において不当な賃金未払いに憤慨し、雇い主らを打殺したことにより、対象者の運命は暗転した。李逵はお尋ね者となり、対象者を連れて北から南へと逃亡を開始した。

口が利けず、かつ年老いた母を伴っての逃亡は、李逵にとって並ならぬ困難を強いるものであったはずだが、李逵はその苦境を一切厭う様子を見せなかったという。宋江や武松と出会った時点においても、李逵は老母の安否を真っ先に案じており、孝行への強い執念を滲ませていた。

4. 潜伏状況と最期の数日間

望江近郊の山中を根城にするにあたり、李逵は対象者を岩の裂け目を利用した洞穴に匿った。入り口を枯れた木の枝で偽装し、役人の目から隠すための措置であったが、この隠れ家は野生の獣の脅威に対しては無防備に等しかった。武松が近隣の山での人食い虎の出没を警告した時、李逵は即座にその危険を察して山へと駆けだしており、対象者の安全への強烈な不安を顕わにしていた。

5. 死亡の状況

対象者の遺体は、潜伏先付近の木立の中で発見された。発見者は李逵、および同行していた宋江、武松の三名である。

死因は野獣(虎)による捕食である。現場の状況から、対象者は洞穴から引きずり出され、食害を受けていた。現場付近には虎の生々しい足跡が残されており、後に李逵と武松によって、対象者を殺害したと思われる二頭の虎が討ち取られている。

6. 総括

対象者の生涯は、ほぼすべての記録が空白のまま閉じられた。名前も、生まれた場所も、どのような人生を歩んできたかも、伝えられていない。残されているのは、言葉を持てないまま息子に連れられて逃げ続け、山中の洞穴で静かに命を落としたという事実のみである。

その死は、李逵の心に深く刻まれた。絶望した李逵が宋江によって立ち直り、その後の生涯を宋江に捧げる決意をした背景には、この母の死が大きな契機となっている。名もなき老女の死が、一人の豪傑の人生を根本から変えた——その事実こそが、李逵の母という人物の物語における意味を、静かに証明している。